スカイラインの中でもこのGT−R特別な存在。乗用車でありながらレースでの活躍はめざましい。スカイラインの50連勝はこの車の金字塔です。
かって「名ばかりのGTは道をあける」という。CMのフレーズがありました。名ばかりのGTとはスカイラインのことだろうなという解釈がされるほど挑戦的なCMでしたが、GT−Rの称号は簡単にはつけなかったので逆にGT−Rそのものに箔がついてしまったようだ。
「世界的に有名な3つのアルファベットがあります。G、T、Rです。私はここでお約束いたします。必ずGT-Rは復活します。」これは2001年東京モーターショーでカルロス・ゴーンCOO(当時)が"GT-Rコンセプト"を前に行ったプレゼンの最初の言葉です。
スカイラインのモータースポーツ活動
KPGC10 ハコスカ
本格的に参戦したのはS54型による第二回日本グランプリが最初です。
3代目PGC10型/KPGC10型GT-R は国内レースで50勝を達成しました。
3代目(C10型)
1969年5月 「'69JAFグランプリレース大会」クラブマンレース・特殊ツーリングカークラスでGT-R(PGC10型)がデビュー。1位でゴールしたトヨタ1600GTが走路妨害と判定され、1周減算された結果、GT-Rが優勝となる。
1969年10月 「'69日本グランプリレース大会」ツーリングカーレースにてGT-Rが1-3位を独占。
初代GT-Rは東京モーターショーでデビューした後、1969年2月に発売されましたS20エンジンは、高性能DOHC・24バルブエンジン。最高速度、200KM/Hと、400加速16.1秒の駿足を誇りました。
栄光の金字塔ーGT-Rのレース“50勝”
「スカイラインの敵はスカイライン」とまで言わしめたGT−Rはわずか2年10ヵ月の間に50勝をあげました。最初の1勝目は、1969年5月3日の「'69JAF GP」のレース。
記念すべき50勝目は、1972年3月20日の「富士GCシリーズ第1戦・富士300kmスピードレース」。カーナンバー15を付けた高橋国光選手のGT−Rがチェッカーフラッグを受けました。
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